× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 最近、悪意と善意について考える機会がありました。 善意と悪意、すごく定義が難しい問題ですよね。 たとえばわたしが、沢山もらいものをしたからお隣の人におすそ分けしよう!と思ったとします。 わたしは、一人ではもてあますし、捨てるくらいなら誰かにもらってほしいという気持ち。 お隣の人が「ああ、これはありがたい」と思えば、「ありがとう」と快く受け取ってくれます。 このときわたしの善意は、善意としてお隣の人に受け取られます。 お隣の人のありがとうも善意としてわたしも受け取ります。 これwin-winの関係です。優しい世界。 お隣の人が「こんなものもらってももてあますけど、善意で持ってきたんだから受け取ってあげよう」と思いながら、「ありがとう」と受け取ってくれます。 その時の表情から、「もしかして迷惑だったかな…」とわたしは思いながら、「押し付けるかたちになってしまいすみません。役に立てばいいのですが」と玄関先を辞します。 これどっちもちょっとモヤモヤします。結構あり得る話です。 お隣の人が「こんな不必要なもの持ってきやがって!」と思えば、「いらない」とお断りされます。 わたしは「ごめんなさい」と言います。 このときわたしはしょんぼりしますが、相手はどうだろう。 もしかしたら、「きちんと伝えたんだからこれで相手も余計な気を遣わないはず。お互いこの先不満に思うこともないだろう。私はいいことをした」と思っているかもしれない。 「厄介払いができてせいせいした」と思っているかもしれないし、「ちょっと言葉きつすぎたかな。次会ったらそれとなくフォローしよう」と思っているかもしれない。 でもそれって、相手が思ってる事だから、わたしにはわからないんですよね。 わたしは、「相手はきっと迷惑だったからお断りされたんだ」とは理解しています。 でもそれが、悪意からの言葉なのか、善意からの言葉なのかは分かりません。 「これはわたし苦手なもので、気持ちは嬉しいけどごめんなさい。受け取れないわ」 そうお隣の人から言われたら、「ああ、これはこの人にとっては苦手なんだ、じゃあ次は持って行かないようにしよう」と思います。 その人にポジティブな気持ちを持っていれば、「じゃあなにか別なもののときは持ってきてもいいですか?」というやりとりをするかもしれません。 その時わたしは、この人は善意で言ってくれたんだなと明確にわかります。 あくまでこれはわたしの考え方なので、当てはまらない人のほうが多いんじゃないかなと思うんですが、善意であるか悪意であるかって、受け取った人によって決まるんじゃないかな。 小難しいことを並べてみましたが、結論そこに行きつく気がします。 相手と信頼関係があるかどうかも大事だし、過度に思い込みすぎてもいけないなと。 定義づけしようとするの自体がむずかしいことで、あまり意味のないことなのかも。 オフの友人はそこのあたりわかっていて、上手にいなしたりしてくれるから わたしもついつい甘えてしまうところ、すごくたくさんあります。 実際に会って話して信頼関係ができているからか、またこいつは~みたいな感じで。 でなければおせっかい焼きで世話焼きここに極まっているようなわたしを 受け入れてくれるわけないよな…。ありがたいから友達いる方を拝んでおこう。 たまに変なもの(わたしにとってはとても素敵に見えるもの)を渡しても、それを悪意だと受け取られたことが一度もないので、本当に友達に恵まれたなと思います。 もしかしたらこれは…と思ってるかもしれないけど、決してわたしが見てる前ではそれが見えたことがないので超人なのかな?とも思っています。 そんな友人にすごく敬意を持っているし、わたしも彼女みたいに心の広い素敵なひとになりたい。善意と悪意の話どこいった。まあいいや。その善意と悪意の話を考えると、必ずその友達に行きつくんだよなあ。わたしのあこがれだ。 その友達、心が広くて素敵なだけじゃなくて痩せてスタイルいい美人なんだよなあ… と、とても脱線したけど、そんなことをモヤモヤ考えていました。 気持ち切り替えて、わたしもそれなりの人間になれるように努力しようっと。 そんな人間はいまシュテンさんとラセツちゃんとトラルとバンナちゃんの話を考えているんですが、煩悩しかなくてこりゃ~だめだな! PR この記事にコメントする
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